坂本龍馬の名言を聞け-『竜馬がゆく』名言集

坂本龍馬。知らぬ日本人はおらず,日本史上1,2を争う人気を誇る龍馬。
その人気を決定づけた司馬遼太郎さんの名作が『竜馬がゆく』(文春文庫)です。

ぼくも学生時代から何度となく読み返していますが,
『竜馬がゆく』にあらわれた,竜馬の名言に注目してまとめてみたいと思います。

英雄とは

まずはこの言葉からです。

(衆人がみな善をするなら、おのれひとりだけは悪をしろ。逆も、またしかり。英雄とは、自分だけの道をあるくやつのことだ)

いいことを言っているような気もします。
これは,船宿に訪れた竜馬が,先約のある部屋に勝手に入って陣取ってしまった時のセリフです。
困った女中は,「このお部屋は,もうすぐお着きになるお客さまのお部屋でございます」と言い部屋を変わってもらおうとしますが,竜馬はなおも「おれは,ここだ」と言い張ったのです。
そのときの竜馬の内心がこのセリフです。

ぶっちゃけ
まあそうかもしれないけど,女中さんが可愛そうだよね
同じ趣旨でこの言葉が上げられるかもしれません。
──人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。
──義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。
──恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。
これらを竜馬式の武士道として自身の行動の基準としたようです。
男はどんなくだらぬ事ででも死ねるという自信があってこそ大事をなしとげられるものだ
竜馬はこんな言葉も残しています。
「世に生を得るは、事をなすにあり」と考えていた竜馬。これくらいの気概でなければ,事を成せないのかもしれません。

乙女姉さんの影響

(こまったなあ)
竜馬が深川の色女の仇討ちに関わったのを,さな子に入れあげていると勘違いされて冷たい態度を取られたときの,内心の言葉です。
竜馬が乙女姉さんに薫陶されたことは有名ですが,
「どういうことであっても、女に軽蔑されるような男になりたくない」という気持ちが強かったようです。
「いい男になれ」と女性に監視されているような気持ちであったようです。
竜馬は言い訳も説明もしませんでしたが,ただただ,さな子に軽蔑されるのに人心地しなかったのですね。
男の心がけとしては,女性からしたらアリなのかもしれません。
ぶっちゃけ
ひとり束縛。

議論しない

竜馬は,さな子に申し開きしなかったように,あえて議論などしませんでした。

竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
尊皇攘夷から開国論者,また武力倒幕を避け船中八策を起草するなど,思想を変遷させていった竜馬。
相手の思想が異なっていても,竜馬は議論しようとしませんでした。議論で勝っても相手の名誉を奪い,恨みを買うだけだとの信条があったようです。
海援隊の仲間から浮いていた陸奥陽之助とのやりとりにも,竜馬のこの性格が描かれています。
仲間が酔っていても,周りが阿呆に見えてひとり醒めている心境だという陽之助。竜馬は,土佐勤王党時代を例に挙げ,おれも酔えなかったと言います。
そうでしょうと言う陽之助に対し,竜馬は,「しかしおれは,一緒に酔っているふりをしてきたぜ。いまもかわらない」と言います。真似ができないという陽之助に対し,竜馬はこう言います。
「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、おおぜいと一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ」
先進すぎた自分の考えを押し殺し,時流を見てこの時代を泳いでいた竜馬らしい名言ではないでしょうか。

アメリカ大統領

アメリカでは、大統領が、下女の暮らしの立つように考えて政治をやる。徳川幕府は徳川家の繁栄のみを考えて、三千万の人間をおさえつけてきた。幕府、幕下の諸大名しかり。藩の都合だけで政治をする。いったい、日本人はどこにいるか。もっとも光栄をになうべき日本人はどこにいるか。日本人は三百年、低い身分にしばられ、なんの政治の恩恵も受けていない。この一事だけでも、徳川幕府は倒さねばなりませんよ
日本では,武士以下は政治に参画する資格はなく,武士の中でも身分格差がありました。土佐藩における上士と郷士の関係は有名ですね。
竜馬は,西洋式の考え方,政治思想に触れ,この言葉を残しました。まさに時代の先駆者であったといえるのではないでしょうか。

幕府士官

「わい」  竜馬は小声でいった。聞こえんわい、をちぢめていったのである。

『竜馬がゆく』のなかで,一番面白かった言葉がこれです。
神戸海軍操練所にはじめて練習艦を持つことができることになり,竜馬は,品川で操練所の仲間が着くのを待っています。
すると,幕府の軍艦,千秋丸が到着します。竜馬は,威張っている幕府士官が首に提げていた双眼鏡を拝借し船を夢中で見ています。
怒るのは取られた幕府士官です。「無礼ではないか」というのを龍馬は無視して船を見ているので,さらに幕府士官が,「聞こえんかっ」と竜馬の耳元で怒鳴ったのでした。
これに対する竜馬の返しが,「わい」です。しかも小声で。
幕臣だからといってあんまり威張るなという気持ちと,そんなやつは相手にしないという竜馬の態度が出ていて,痛快の場面でした。

西郷隆盛

われはじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る
西郷隆盛を評した竜馬の有名な言葉です。
評する者も評する者,評される者も評される者と言ったところでしょうか。

薩長連合

薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩州人なのか。

竜馬が奔走して連合のための初会談をもった薩摩藩,長州藩でしたが,両藩の連合にまったく触れずに終わってしまいます。桂小五郎から,薩摩藩から口火を切らないからだという言い訳を聞いた竜馬が発した言葉です。
怒ったことがない竜馬が度を失うほどに腹が立った瞬間でした。

おりょう

人間関係はカラリとしたほうがいい,という考えの竜馬。
田鶴,さな子,登勢,お慶など幾人もの女性を袖にしてきた竜馬でしたが,ついにおりょうに心を許します。
「おりょう、そう優しくするな。おれは惚れなおさざるを得んわい」
「おりょう、もっと手を抜け手を抜け。こうもべたべた看病されるとおれはやりきれん」
寺田屋で襲撃され負傷した竜馬を甲斐甲斐しく看病するおりょう。
その様子に竜馬の心が揺さぶられます。
負傷から回復した竜馬がついに,おりょうに告げます。
竜馬「おりょう、一生だぜ」
おりょう「えっ」
竜馬「ついて来いよ」
  竜馬は気恥ずかしかったらしく,捨てぜりふのようにいって、そそくさと立ち去った,とのことです。
ぶっちゃけ
自分,不器用ですから。
そんな気がする微笑ましい場面でした。
他人のふんどし
薩長連合が成り,両藩が具体的に協力関係を築いているさなか,長州藩が薩摩藩の便宜への感謝として,米五百石を贈りました。ところが,薩摩藩は,幕府との決戦を控えている長州藩から受け取るわけにはいかないと拒絶します。
長州藩としても1度出した米を引っ込めるわけにもいきません。
そこで竜馬は,桂小五郎に,「米を贈るも義,辞するも義」だが,米が宙に浮いて腐ってしまう,いっそおれに呉れ,亀山社中が天下のために使えば米が生きる,と言ったのです。
これには,桂小五郎も笑って承諾するほかありませんでした。
「これこそ他人の褌ですもうを取るというものだ」

このとき竜馬が言ったセリフです。憎めない人ですね。

大政奉還

大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。
慶喜が大政奉還をしたと知ったときの竜馬の言葉です。
顔を伏せて泣き,声を震わせた竜馬。大政奉還を絵に描いた竜馬,それを決断した慶喜。司馬遼太郎は,「日本史のこの時点でただ二人の同志であった」と表現しています。
そして,竜馬は新政府の人事案を起草します。
しかしそこに竜馬の名はありませんでした。
「おれは日本を生まれかわらせたかっただけで、生まれかわった日本で栄達するつもりはない」
「こういう心境でなければ大事業というものはできない。おれが平素そういう心境でいたからこそ、一介の処士にすぎぬおれの意見を世の人々も傾聴してきてくれた。大事をなしとげえたのも、そのおかげである」
「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はたれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」
この考え方,身の引き方は格好いいですね。
新政府の人事案に竜馬の名がなく,何をするのかと聞いた西郷に対し,竜馬は,
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
と言ったのです。しびれますね。

竜馬の最期

大政奉還が成った直後,竜馬は暗殺されます。
「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
竜馬の最期の言葉です。
平素,「生きるも死ぬも、物の一表現にすぎぬ。いちいちかかずらわっておれるものか。」と言って,ろくに身を守っていなかった竜馬。
暗殺された時にも,手元に刀を置いていませんでした。
竜馬がこのとき死んでいなかったら,その後の日本はどうなっていたのでしょうか。
誰しもにこう考えさせる竜馬は決して忘れ去られることはないでしょう。

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